フジファブリックと、フジファブリックの新作、『MUSIC』。
そしてフジファブリックの新作、『MUSIC』のアートワークについて。
──グラフィック・デザイナー 北山雅和(Help!)
フジファブリックの新作、『MUSIC』の発売日である今日、こうして原稿を書くことになるとは思いませんでした。でも同時に、「きっとここまでが僕の引き受けた仕事だったのだろう」と、不思議な気持ちになってもいます。
些細なやりとりから原稿を書く機会を与えてくれた江森丈晃くん、重要なタイミングでのジャケット・デザインを僕にオファーしてくれたプロデューサーの薮下晃正さん、ディレクターの芦澤紀子さん、マネージメントを担当されているSMAの大森ゆかりさん、山岸ケンさん。また、タフにがんばっているバンドのメンバーに、まずは感謝します。どうもありがとう。
それでは少し遡ってみます。
「北山くんにお仕事をお願いできないかと思ってさ……」
5月の中旬、懐かしい知人から連絡をもらった。電話の主は前述の薮下さん。YABBYと言ったほうが通りがよいかも知れない敏腕プロデューサー。最近もゆらゆら帝国などを担当されていたが、自分にとっては、Ki/oon時代の印象が強い。僕がまだ20代の中頃に、真心ブラザーズ(『サマーヌード』『KING OF ROCK』etc.)やブロンソンズなど、おもしろい仕事を御一緒させてもらい、また、僕の学友であるスチャダラパーもとてもお世話になっていた、仕事を越えた「兄さん」的存在だ。
そして電話の「お仕事」とは、フジファブリックの新作。
……新作といえど、作詞作曲者は夭逝してしまっている。……EMIからソニーへの移籍第1弾ということで準備を進めていた矢先の訃報であり、現在は残されたアルバム用音源を元に、ほかのメンバーたちと制作を進めている……とのことだった。
僕は少し戸惑ってしまった。
そこからもう少し遡り、2009年の師走、12月28日。Corneliusの事務所である3Dの忘年会。僕は志村くんの悲報を、その忘年会に出席されていた片寄明人さんから知らされた。自分たちよりも若くして逝ったミュージシャンの悲報に、同じクリエイターとしてその場にいた誰もがショックを受け、また、なにかシンパシーに似たものを感じていたようだった。
そんな中、自分はというと、なるべくその話が耳に入らぬよう、少し距離を置いて隣のテーブルに移った。自分は酒が入ると感情の揺れがとても激しくなってしまうし、ここ3年で近しい人を3人も亡くしていた身としては、とても堪えられそうな話ではないと感じたからだ。
そんなエピソードを薮下さんに伝え、さらには「自分はこの業界にいながら邦楽には疎く、フジファブリックにも明るくないから、彼らの歴史を背負うことはできないし、そもそもそんな自分でいいのか」という想いも正直に告白した。
しかし志村くん本人が、僕がアートワークを手がけているCorneliusにプロデュースを頼みたがっていたこと、バンド全員に僕の作品を見てもらっての依頼だということ、そしてなにより、バンドとスタッフはとても前向きに取り組んでいると説明を受け、まずはお話しを、とソニーに向かうことにした。
予想を超えて、打ち合わせはスムーズに進んだ。「志村くんの遺した楽曲を世の中に出してあげたい」というこの新作にかけるバンドやスタッフの熱い想いが直接感じ取れたということが大きいのだけど、以前どこかで耳にし、ずっと気になっていた曲がフジファブリックのものであったことが判明するなどの偶然も重なり、「ならば多面的な印象が強いフジファブリックというバンドを、現在から遡り、1本の芯を通すようなジャケットを! フジファブリックのマスターピースを!」と、全員の意見が一致して、お引き受けすることとなった。
その「気になっていた曲」というのは、2008年に発表された3rd アルバム『TEENAGER』に収録されている、「若者のすべて」。ピアノが印象的で、淡々とフラットに歌われるヴォーカルも効果的で、曲自体、単純にいい曲だと思えるけれど、そんな分析を超えて、ともかくあのサビにグッときた。シンプルというのとはちょっと違って、なにも言っていないようで、ものすごい情感が生まれている。主語を歌わないからこそ間口も広い。ぼくはこのサビを聴いて、日本語ロックに対する考えかたを改めたぐらい。そのうちなにかが起こりそうな予感、というのを、それがフジファブリックの音楽だと知らずに感じていたのだった。
この曲を、今回のアルバム音源といっしょに、何回聴いたことか……。きっとこれからの季節、花火を見たらそれだけで泣いてしまうだろう。
それからは毎日、彼らのアーカイヴを自分のなかに取り込む作業が続いた。正直に言うと、歌詞を読みながら涙してしまうことがほとんどだったのだけど、過去のインタビューにはできる限り目を通したし、YouTubeにあるさまざまな番組出演もチェックした。
でも、情報を取り込めば取り込むほど、強烈な喪失感に襲われて、ほかの仕事も手につかなくなるほどだった。
デザインの際は「アーティスト本人とのイメージ交感」にすごく重きを置いている自分にとって、今回のようなケースは初めてのことだった。志村くんのことを知れば知るほどに、「くそぉ、逢いたいなあ」が口癖になったし、フジファブリックの5作目としての純粋な作品性と、それが結果として志村くんの遺作になってしまうことから生まれるハードルの高さ、期待の重さの狭間で、だんだんと気持ちが押しつぶされそうになっていった。
そのときに同時進行していた別件の撮影を終えたある夕方、ぼくはこのブログの管理人であり、僕の作品集『LiGHT STUFf』を共に手がけた盟友、かつ最強の呑み友達である江森丈晃にメールをした。
「いま、撮影が終わって自分を解放したいなーと思っています」
男ふたりの静かなサシ呑みだったが、ふとフジファブリックのジャケットのことが口をついて出た。
なんとなく誰かに聞いてもらいたかっただけなのだけど、偶然にも江森くんは昨年、編書『音楽とことば』で、志村くんのインタビューに立ち会っていた。彼の口から語られた志村像は、とても屈託のない、音楽の大好きな青年で、無邪気な印象すら感じられた。そして彼は僕に向け、「北山さんが感じたとおりにやれば、どんな作品でも、きっと受け入れてもらえるはずですよ」と言ってくれた。
話を聞いてもらったお礼にと、やはり二日酔いになってしまった身体に鞭打って、『音楽とことば』を買いに出かけた。志村くんのインタヴューに並んだ、若者らしい嫉妬や諦め、フラれた女性への想いなどの純粋な言葉が、なぜか自分の気持ちを少し楽にしてくれた。
最初は、あらかじめ自らの最期を予感していたかのように聴こえる歌詞に反応し過ぎてしまい、聴くたびに涙していたアルバム音源も、そのヴァラエティのおかげで楽しんで聴けるようになってきた。とくに清々しいアコギがThe Smithsを彷彿とさせるタイトル・チューン「Music」、Puffyに楽曲提供したものの、それを後悔してしまうほど気に入っていたという「Bye Bye」は、僕のお気に入りトラックになった。
止まっていた手も不思議と動き始め、新しいバンドの1stアルバムを作るテンションで、ロゴやマークを考え始めた。氣志團の綾小路さんに「フジファブリックってカタカナだと全部右上がりになるんだね」と言われた話をメンバーから伝え聞き、カタカナのロゴにチャレンジしてみたくなった。歌詞においても意図的にカタカナ英語が歌われていることもあり、マッチしないわけはないと思った。
いっぽうの欧文ロゴは、歌詞や楽曲のユニークさから、なにか錯視的なものをと考え、片側は2本の角柱、もう片側は3本の円柱というトリックアートの図形を引用することで、「F」をつくってみた。
仕様も店頭で異彩を放つものをと、プラケースと背丈の違うボール紙スリーヴを提案。完成したロゴをステンシル版に起こし、蛍光スプレーを吹きつけた。
しかしここまでスムーズに動いていた手が、ふたたび止まってしまう。いくらグラフィックを煮詰めてみても、肝心のアーティスト写真を撮影することができないという大きな問題にぶつかってしまったのだ。
過去の写真はEMIからリリースされるコンピレーション作品に、ストックのほとんどが使用されてしまっていて、ならば使わない方向で勝負しましょうと言い切ってはみたものの、単なるグラフィックもののジャケットなど、今作を待ち望むファンにとっては無意味ではないか、その無意味さを押し通すのは、デザイナーのエゴではないか。そんな不安に呑まれてしまい、僕はなにかバンドの「気配」を匂わせるものを探し始めた。
熟考の末、残された可能性は、楽器。それも志村くんのギターしかないと、ディレクターに連絡をとった。遺品を撮影することでファンをしんみりとさせるつもりなど毛頭なく、むしろ絶対的な存在感〜アルバムの象徴として必要だと説明をしたところ、ちょうどマネージメントが志村くんのギターを3本預かっているとのことで、急遽その写真を送ってもらった。
目に飛び込んできたのはペイル・ブルーのFenderストラトキャスター。3本のなかでもとくに最近のお気に入りだったそうだ。僕はひと目見て気に入り、アートワークに飛び入りしてもらうことを決めた。
もし志村くんの楽器のみを大きく使用することを過敏に反応されたら、と思うと気が気ではなく、プレゼンを前に薮下さんに相談の電話をしたほどだったが、いちばん大胆かと思われたこの案を、メンバー、スタッフ全員が気に入ってくれ、店頭に並ぶのが楽しみだ、とまで言ってもらえた。
撮影の予算もあり、カメラマンにお願いできるとわかったので、プレゼンの成功に気をよくした僕は、すぐさま端裕人さんに電話をかけ、その足で事務所に向かった。
彼はフジファブリック『CHRONICLE』のジャケット撮影を手がけたカメラマンで、その写真をすごく気に入っていた僕は、すでに別件をお願いしていて、実は『Music』のプレゼンにも、端裕人さんの作風を想定した写真案をふたつ用意し、事前に「もしアイデアが通ったら絶対に撮ってほしい」と打診しておいたのだ。事務所で話を進めるやいなや、真摯で温かい彼はすぐに快諾してくれ、アイデアまでを出してくれた。
ギターの撮影は、乃木坂にあるソニーの会議室で行われた。あえて照明を立てず、窓からの柔らかな自然光のみの、とても穏やかな時間だった。
僕は無事チェックを通過したラフを見てもらい、「単なるブツ撮りではなく、ギターをアートピースと見立て、クローズアップで大胆に切り取ってほしい」とだけ伝え、そのほかのいっさいを彼に任せた。ともすれば退屈であるかもしれない撮影を、彼はすごく楽しんでいるように見えた。撮影中、地下のソニー・スタジオでレコーディングしていたキーボードのダイスケくんが覗きにきたり、取材の前にギターのソウくんが立ち寄ってくれ、端さんとの再会を喜んでいた。
頃合いを見計らって、「もしそうしたければ、御自身の作品用にも撮られたらどうですか?」と声をかけると、彼はニコッとして、その後もしばらくシャッターの音を響かせていた。
端さんは、「もう充分撮れたと思います」と撮影を終えると、すごく大事そうに、とても丁寧に、自分でギターをケースに戻した。
撮影の合間には、マネージャーの大森さんから、「志村くんのギターを使ってもらって個人的にすごくうれしかった」と言ってもらえた。僕は彼女に、「どんな些細なことでもいいから、志村くんのジャケットに対する考えや理想を教えて欲しい」とお願いし──今思うとそれも酷なお願いだったかもしれないが──彼女は僕に、「クラスの子と貸し借りするときに、ちょっと自慢できるようなお洒落なジャケットがいい、と話していました」と伝えてくれた。そのエピソードは微笑ましく、とても愛嬌があって、緊張していた僕の心を和らげてくれた。
自然光のみの部屋だったし、暗くてはっきり見えたわけではないけど、「うれしかった」と言ったとき、彼女は少し泣いているように見えた。
「マスターピースを!」というプレッシャーのなか、ずっと悩みに悩んで、気を張ったまま進めてきたけれど、おそらくいちばん間近で志村くんを支えてきた大森さんの、そんな笑顔を見たとき、ようやくこの仕事を受けてよかったと報われた気がした。なんともいえない温かな気持ちになれたことを憶えている。
今であれば、僕は志村くんに会っていなかったからこそ、フィニッシュできた仕事だとも思えるようになった。
過去にいちどでも仕事をしていたら、きっと辛くてデザインなんか無理だったろうな。
あれからひと月以上が経ち、すっかり意気投合した端さんと、打ち合わせを兼ねて呑んでいたときのこと。ふいに端さんが、あの撮影のことを話し始めた。
「撮影が終わって、ギターをケースにしまうとき、思い余って泣きそうになった」
それを聞いて、すでに酔い始めていた僕も、思い余って泣きそうになった。
2010/7/28
グラフィック・デザイナー 北山雅和(Help!) |